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原節子さんは9月に95歳で死去されていました [エンタメ話題]

原節子さんは9月に95歳で死去されていました

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あのビールの広告やグラビアの表紙を飾った昭和の大スター原節子さんは、9月6日に神奈川県の病院でなくなっていたといいます。

わかったのが25日といいますから、さすが95歳ともなれば、いくら大スターでもいつの間にか忘れられてしまうものなのですね。

なにか、ちょっと寂しいような気もします。

1963年昭和37年の「忠臣蔵・花の巻・雪の巻」に出演して以来、一切表舞台に出てこなくなって、実際の生活はよく知られていないそうです。

簡単な略歴は、

1920年6月17日生まれ
1935年日活多摩川撮影所に入社
同年「ためらうなかれ若人よ」で新人デビュー
この時の役名が「節子」だったため、そのまま「原節子」を芸名とした。
1936年日独合作映画「新しき土」でヒロインに抜擢される。
その後東宝に移籍
「ハワイ・マレー沖海戦」、「決戦の大空へ」、「勝利の日まで」などに出演
戦後は、「わが青春に悔なし」(黒澤明監督)に出演
1947年フリーとなる。
「安城家の舞踏会」「青い山脈」「お嬢さん乾杯」などに出演
1949年「晩春」に出演
1961年「小早川家の秋」

1963年にそれまで映画作りに共に取り組んだ小津安二郎監督が亡くなってそのお通夜で姿を見せたきり、表舞台には一切でなくなった。

その後、体調不良などが伝えられていましたが神奈川県鎌倉の妹夫婦と生活をともにしていると伝えられたきり、50年もスクープされることなく、静かに余生を送られたと思われます。

心からご冥福をお祈りいたします。



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タグ:原節子
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